群、環、体
群、環、体は、いわゆる抽象代数学と言われる分野の基本的な対象です。
線形代数に出て来るような概念をさらに抽象化、一般化したものが群、環、体といったものになります。
それぞれ簡単に説明していきましょう。
群は、数学で頻繁に出て来る「対称性」という重要な概念を記述するのによく用いられます。
例えば図形で言うと、線対象や面対象などがありますね。皆さんも数学の答案で「対称性より」という言葉を使ったことがあるかと思います。
「対称性」という言葉は、「ある変換に対して不変である」(例:正方形は90°回転によって不変である)だとか、より一般に「ある変換に対して必ず逆の変換があり、それを施すと元に戻る」(例:線対象移動は2回行うと元に戻る)ような場合によく使われます。
大雑把に言うと、「ある変換に対して必ず逆の変換があり、それを施すと元に戻る」ような性質を持つ「変換」を集めた集合のことを群と言います。
群論では、群そのものの一般的な性質を扱うと同時に、群を「変換」とみなしたとき、具体的な対象(図形や空間など)にどのように作用するかも合わせて調べられます。(群の表現論と言います)
環は、「和と積という演算が定義されている集合」のことを指します。和と積という演算構造に着目して、それらが定義されている対象がどのような性質を持つかを調べる分野です。
例えば、整数全体の集合は通常の和と積によって環となります。多項式全体の集合も多項式同士の和と積によって環となります。実数値関数全体の集合も、関数の和と積を定義してやることで環になります。
このように、和と積が定義されている対象は多岐に渡り、それらが共通して持っている性質を調べておくことは様々な場面で有益になります。
また、環上の加群という重要な概念があります。これは線形空間をより一般化した概念であり、線形空間に類似する種々の性質が成り立ちます。
体は、「和と積に加えて除法が定義された集合」を指します。ここで除法が定義できるとは、任意の でない元に対して、それぞれかけると
になる元(逆元)が存在することを言います。
でない
に対して
が存在するということです。
例えば、実数全体の集合や複素数全体の集合は体です。整数全体の集合は、例えば にかけると
になる元は
ですが、
は整数ではないので体ではありません。
常に除法ができるということから、体は環よりも良い性質を持っています。環では成り立たないが体では成立する種々の性質を主に調べるのが体論です。
体論の応用として、有名なガロア理論があります。歴史的には 5 次以上の方程式が一般に解の公式を持たないことを示すために登場した理論ですが、現在では体の拡大論として整備されています。
ガロア理論もまた、現代数学における非常に美しい分野の一つと言われています。
ホモロジー代数
ホモロジー代数とは何かということを簡単に説明するのは難しいのですが、この分野の成立には歴史的な背景があります。
トポロジーという幾何学の分野があり、そこで図形の位相的な性質(穴の数など)を代数的に捉えるためにホモロジー論というのが発展しました。
これが大きな成功を収めたことで、この手法を他の数学の分野に持ち込めないかという動機が生まれました。ホモロジー論の代数的なノウハウの部分を集めて抽象化、一般化したものをホモロジー代数と言います。
幾何学の対象である図形は様々な分野で定義されますが、それらに対してホモロジー代数を適用することで、幾何学的な性質を代数的に解釈することができます。
また、ホモロジー代数のベースには、環上の加群やテンソル積といった概念があり、これらはいわゆる「線形代数的なもの(より一般化した概念)」です。「まっすぐなもの」を使ってより複雑な対象を調べるという微分積分や線形代数に通じる手法がここでも行われています。
圏と関手
集合と位相が現在数学の二大言語の一つとすれば、圏と関手こそが双璧をなすもう一つの言語です。圏と関手の性質を扱う分野を圏論と言います。
こちらは大学院レベルの数学をやるならば必須と言えるものでしょう。
集合と位相と同じく、圏と関手自体は非常に抽象的で基礎的な(簡単という意味ではない)概念なのですが、それだけに適用される対象が極めて多岐に渡ります。
ただし、圏と関手の具体例は高度なものが多く、それらを理解したり、威力(ありがたみ)を実感できるようになるためには、抽象的な数学の対象に対する一定の親しみが必要でしょう。なので、ある程度学習が進むまでは、圏のことはあまり深刻に気にしなくても良いのではないかと個人的には思います。
ただし、極めて基礎的な概念であることから、実は圏論的な事実だとか概念だとかは随所で現れています。圏論を学習してから、あれは実はそうだったのかと見えてくることもあるでしょう。
さて、圏論とはどんな分野なのか簡単に説明しましょう。
圏は(集合とは限らない)対象と、対象から対象への(写像とは限らない)射から成ります。この時点で非常に抽象的な定義であることがわかります。
射は写像とは限りませんが、写像をモデルにはしているので、写像と似たような性質を持っています。(結合律、恒等射の存在)
また、圏同士の射のことを関手と言います。
これで何がしたいのかというと、圏論とは、対象と射、関手によって「ある数学的対象(ある圏)と別の数学的対象(別の圏)との関係性」というものを一般的に記述する言語を与えるのです。
特に数学においては、「見かけはまったく違うものでも、実質的なものとしては同じとみなせる」ということが度々あります。こういった場合に、圏論という言葉を用いて「これとこれとは実質的に同じ(同型)」と言うことができます。
例えば、私は複素数全体の集合について、3種類の異なる構成を行いました。
これらはすべて「実質的に同じ」複素数全体の集合ですが、見かけはまったく違います。
私はこれらがすべて「実質的に同じ」だと知っていて構成したから良いのですが、もし何も知らずに構成したとしたら、あるいはまた別のやり方で構成したとしたら、それが「実質的に同じ」複素数全体の集合であるかどうかなんて、見た目ですぐにはわかりませんよね。どうやって判断すれば良いのでしょう。
この「実質的に同じ」という概念を厳密に記述し、判断の拠り所にできるのが圏論という言葉なのです。
例えば、まったく未知の数学的対象があるとして、それがある側面においては既知の数学的対象と「実質的に同じ」だと示したいとします。圏論を使えばその証明ができるのです。
そして、一旦ある側面において「実質的に同じ」だとわかってしまえば、その側面においては未知の数学的対象が既知の数学的対象とまったく同じ性質を持ち、まったく同じように取り扱えることがわかります。数学の研究を進めていく上で非常にパワフルなツールなのが少しは伝わるでしょうか。
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